甲斐山岳会、大正15年の登山記録発見 甲斐駒-農鳥縦走、克明に
記録によると、縦走は甲斐山岳会(1924-40年)の主催。後に白鳳会長となる柳本さんの叔父、経武さん(故人)がリーダーを務めたパーティーには、森さんら県内外の登山愛好家10人が参加した。
白州町台ケ原から登山道に入り、甲斐駒ケ岳、仙丈ケ岳、間ノ岳、北岳などを経て、早川町の西山温泉に下った。当初は北岳から鳳凰三山へ向かい韮崎市へ下る計画だったが、遭難者の救助などで食糧が欠乏し、変更したと記されている。
記録は柳本さん宅の仏壇で今年2月に発見。封筒に小さいスケッチブックと一緒に入っていた。あて名は柳本さんの祖父、岩十郎さん(故人)。経武さんが若くして亡くなった際、森さんが当時の記録を岩十郎さんに贈ったらしい。贈呈日は1952年8月。
スケッチブックは49年8月に来県したときのもので、大月・岩殿山、勝沼ブドウ園、鳳凰三山から見た風景などが描かれている。昭和の台風で変形した南精進ケ滝の元の姿、建て替える前の鳳凰小屋など、貴重なスケッチもある。
森さんは本名森仁兵。栃木県烏山町で呉服屋を営みながら全国を旅行、登山し、多くの旅行記やペン画、水彩画を残したという。
柳本さんは「森さんについては祖父から話を聞き、家に絵もあったので知っていたが、記録が見つかって驚いた。白鳳会に所属し、南アルプスに詳しい人の貴重な記録として有効に活用したい」と話している。
(写真上)甲斐山岳会の南アルプス縦走を記録した森市郎さんの原稿。下は1949年のスケッチブック
(写真下)森さんの原稿を見る柳本光一さん=韮崎市本町
(2004年4月1日付 山梨日日新聞)