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2003.3.13 所属カテゴリ: 芦安 / 自然文化 / 人物・団体 /

名取長信

 将監。戦国時代に武田信虎の家臣として戦場で何度となく戦功をたて、信虎に直接進言できる地位にまで上がったが、信虎の慢心したごう慢な振る舞いに対して忠言したことが信虎の機嫌を損ね武田家を去り、血のつながりがあった山梨県南アルプス市芦安(旧芦安村)の郷士、名取弾正左衛門を頼って大曽利地区に定住する。長信は山仕事や農業になじめず、狩猟をして生計を立てた。ある日、狩猟で一夜を山で明かした時、信仰していた観音経を唱えていたことから、野呂川林道、お野立所の渓谷を「観音経渓谷」と呼ぶようになったという。また長信は子供たちに学問を教えたり、地区の神社で祭りを行うなど地区へ貢献した。今も住居跡が「殿屋敷」の名前で残っている。墓は大宝寺にある。