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甘利山
山梨県韮崎市旭町と南アルプス市の境。標高1731メートル。赤石山脈の東側駒、鳳凰山系の外側にあって海底火山のたい積物によるたい積岩で形成され、一部に深成岩体が入り込む。深草山と呼ばれていたが、天文年間(1532―1555)、甘利左衛門尉昌忠のころ、山中、椹池(さわらいけ)の毒蛇を退治した賞として甘利郷民にこの山が与えられ、永世課役が免除された由来により甘利山と呼ぶ。現在の甘利財産区の起源となったがその間、何回も山争いがあった。椹池は特異な高層湿原であったが、観光開発で大半は破壊されボート、スケートに利用されたこともある。レンゲツツジ、スズランの群落は有名。アツモリソウ、シモツケソウ、ヤナギランなど美しい山草豊富。高原状の山頂は展望雄大。大正末年いらい開発が進み、山頂近くを通過する自動車が通ずる。韮崎駅から1時間。徒歩4時間。白鳳荘、グリーン・ロッジ、ツツジ苑など山小屋があり南アルプスの基地。椹池、大笹池の伝説は「甲斐国志」柳田国男「山島民譚集」に採録され、学術的にも重要である。1997(平成9)年、山梨百名山に選定。
■レンゲツツジに恋物語
梅雨の晴れ間。なだらかな山頂部が朱色に染まる。6月下旬、花の山・甘利山のレンゲツツジの開花だ。おおよそ15万株。1970(昭和45)年の山火事で数が激減したが、地元の長年の努力で山梨を代表するレンゲツツジの名所になった。=【写真】甘利山のレンゲツツジ
レンゲツツジだけではない。スズランもある。昭和の初めにできた新民謡「山国小唄」の一節に「好きな殿御に甘利の山の 恋の鈴蘭添えてやろ」とあったくらいだ。このほか春のミヤマザクラ、フジザクラ、クサボケ、夏から秋にかけてのヤナギラン、シシウド、クガイソウ、シモツケソウ、アキノキリンソウ、マツムシソウ…。駐車場から15分も歩けば、こうした花が楽しめる。
山本周五郎は、この山を舞台にした『山彦乙女』を書いた。51(昭和26)年6月から9月まで、朝日新聞に連載した長編小説。武田氏再興の密命を帯びた一族と隠し財宝、柳沢吉保の陰謀が渦巻く中で、一族の娘と江戸を出奔した役人の恋物語だ。
幼いころの一時期を韮崎で過ごした周五郎。執筆中にも現地を訪れて調査したという。財宝の隠してあるかんば沢、武田八幡、御堂、甘利の庄、椹池。そして甘利山から千頭星山、鳳凰山と山梨百名山の山々も登場する。「そこは甘利山の頂上近くで、まわりは柔らかい若草と、つつじの木が密生し、どちらを向いても、遠くうちひらけた展望がある」
仲秋の名月の夜、娘と江戸を捨てた若者は「法王山」を見に甘利山に登る。運命にもてあそばれた2人が、新しい人生に踏み出すところで終わるのだが、しみじみとした余韻が残る。
甘利山や千頭星山の山頂付近は、準平原地形の典型として知られている。『韮崎市誌』によると、一帯に平たん面ができたのは、比較的新しい時代。後日本アルプス造山運動で隆起し、その後浸食を受けて今の姿になった。2つの山の高さが違うのは、後の断層活動によるものという。=【写真】甘利山からの富士山
問題はこの断層。阪神大震災の原因となった活断層による直下型地震の恐ろしさは記憶に新しい。山梨県の調査で盆地の西部から北部にかけて釜無川活断層があり、想定によるとマグニチュード7.4の大地震を引き起こす可能性があるという。
『山彦乙女』は、クライマックスで武田の財宝を隠したかんば沢の洞くつが崩壊し、沢全体を埋めてしまう。椹池も怪奇な陥没をするのだが、直下型地震を連想させるものがある。
古くは深草山と呼ばれたらしいが、甘利の庄に与えられた山ということで、今の名前になったという。 〈「山梨百名山」 山梨日日新聞社刊〉