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2003.3.13 所属カテゴリ: 間ノ岳 / 登山 / 山域 / 百名山 /

間ノ岳

 標高3190メートル。奥穂高岳(長野、岐阜)と並び、日本第3位の高峰。白峰三山の中央にある。野呂川(早川―富士川)と大井川の分水嶺。巨大な山体で東面の谷には夏の初めまで残雪がある。山頂部は砂れきが主でシオガマ、ハクサンイチゲなど高山植物も多い。山頂で農鳥岳へのコースと塩見岳など南アルプス主脈縦走路が分かれる。「甲斐国志」はこの山を農鳥岳、農鳥岳を別当代と記している。山名論争があったが農鳥岳に「農鳥」の雪形が現れたことから決着がつき、北岳と農鳥岳の間の山名になった。その後、間ノ岳にも雪形の出ることが分かった。山梨県南アルプス市、早川町、静岡市。1997(平成9)年、山梨百名山に選定。

■はるかな山旅の分岐点

 暗やみに4つのヘッドランプの明かりが揺れる。キリキリとほおを刺す寒さ。12月の間ノ岳山頂はただものではない。慣れた手付きでテントが張られていく。朝6時に両俣を出て北岳の山頂に立ち、11時間かかってここまで来た。遠く甲府の明かりがチカチカとまたたいている。=【写真】間ノ岳

 1955(昭和30)年の大みそか。ヘッドランプの主は山梨大山岳部パーティーの笹本学而、高室陽二郎、大久保幸彦、前田忠男の4人だった。数年間の準備を経て実行に移した厳冬期南アルプス全山縦走は7日目に入っていた。まだだれも踏破していない、登山の限界への挑戦だった。

 元日を山頂で迎えた4人は、初日の出を拝む時間も惜しんでテントをたたみ、再び雪の稜線へ踏み出した。白州から甲斐駒ケ岳に向かったのが12月24日。目的地の光岳は、まだはるかかなたにある。

 山梨大隊は寒さとラッセルに苦闘しながらも1月18日、光岳山頂を踏んで無事下山。26日間をかけて初縦走に成功した。

 62年11月、大きな遭難が起きた。農鳥小屋への下りで迷い、5人のうち4人が疲労凍死。山梨日日新聞の記者になっていた高室は、伝書バトを背負って現場に入った。ハトに原稿とフィルムを付けて本社に飛ばした。また朝日新聞の本多勝一は、この遭難を分析。死んだ4人は木綿の下着、助かった1人はウールだったことを明らかにした。

 間ノ岳は大きい。北岳から見ても、農鳥岳から眺めても、野呂川右俣から見上げても、どっしりしていて、山梨百名山の中で随一だろう。頂上も広く、霧などの時は迷いやすい場所として知られている。

 大井川と野呂川の分水嶺でもある。南西面は静岡県。農鳥小屋の北から三国平へ山腹を巻いて行く登山道上部の小さなガレ場で、大井川は生まれる。近くに源流を示す木柱が立つ。野呂川は北西面の右俣上部だ。

 東には氷河地形の細沢カールがある。カールの底は7月中旬、黄色い花で埋まる。シナノキンバイの大群落だ。中白峰からの登山道の西側はハクサンイチゲ。このほかオヤマノエンドウ、シオガマ、ミネウスユキソウ、イワスゲ、チシマギキョウ、イワギキョウ、トウヤクリンドウといった高山植物が風に揺れる。

 南に向かう縦走路は山頂で2つに分かれる。右は塩見岳、荒川岳、赤石岳、聖岳と続く南ア主脈。左は農鳥岳から南に延びる白根南嶺。ここははるかな山旅の分岐点でもある。 〈「山梨百名山」 山梨日日新聞社刊〉

 ※間ノ岳の標高は、国土地理院の測量方法の変更に伴い、2014年4月1月から変更。