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2003.3.13 所属カテゴリ: 北岳 / 登山 / 峠・尾根・バットレス /

北岳・北岳バットレス

 北岳の東面にある大岩壁をいう。山頂からの標高差は約600メートルで、南アルプスを代表する岩場。大まかには大樺沢右俣と左俣の間の岩壁を指す。6つの顕著な岩稜があり、岩壁に向かって右から東北尾根、第1尾根、第2尾根、第3尾根、第4尾根、第5尾根と呼ばれ、尾根と尾根の間に食い込むガリー(岩溝)にもそれぞれ名前が付いている。バットレス下部の横へ延びる垂直に近い岩壁は下部岩壁帯という。

 昭和初期から初登はん競争が始まった。無雪期の初登はんは第5尾根から行われ、京大の高橋健治らが1927年7月18日に登った。積雪期の初登はんは1934年12月27日、立大の浜野正男らが東北尾根から行った。最後まで残った積雪期中央稜が登られたのは戦後の1958年、奥山章、芳野満彦らによってだった。無雪期の第5尾根から31年かかった。バットレスとは建築用語で「控壁」「胸壁」の意味で、小島烏水が名付けた。
南アルプスNET―北岳バットレス
  ▽北岳バットレス初登記録
東北尾根 1927年 7月19日 京大の酒戸弥二郎ら3人
1934年12月27日 立教大の浜野正男、榎本忠亮
第1尾根 1936年 9月 8日 東京商科大学の小谷部全助、森川真三郎
1937年 1月 2日 同 上
第2尾根 1942年 7月29日 登歩渓流会の松涛明
1957年1月4、5日 独標登高会の池田寛一、石田亘、高橋利佑
第3尾根 1935年 6月23日 東京商科大の小谷部全助ら3人
1935年12月13日 同 上
中央稜 1942年 7月30日 登歩渓流会の松涛明
1958年 奥山章、芳野満彦
第4尾根 1934年10月31日 立教大の湯浅巌、榎本忠亮
1937年 1月 5日 東京商科大の小谷部全助、森川真三郎
第5尾根 1927年 7月18日 京大の高橋健治ら4人
1935年12月11日 東京商科大の小谷部全助ら
山梨関係では昭和34年8月5日、中央稜右の無名ルンゼを鶴城山岳会の君島久登が初めて登った

八本歯ノ頭からの北岳とバットレス 見上げる偉容

下部岸壁 大樺沢を見下ろして登る

第4尾根 第4尾根マッチ箱のコルへの下降