| 北岳の東面にある大岩壁をいう。山頂からの標高差は約600メートルで、南アルプスを代表する岩場。大まかには大樺沢右俣と左俣の間の岩壁を指す。6つの顕著な岩稜があり、岩壁に向かって右から東北尾根、第1尾根、第2尾根、第3尾根、第4尾根、第5尾根と呼ばれ、尾根と尾根の間に食い込むガリー(岩溝)にもそれぞれ名前が付いている。バットレス下部の横へ延びる垂直に近い岩壁は下部岩壁帯という。 |
南アルプスNET−北岳バットレス
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| 八本歯ノ頭からの北岳とバットレス |
見上げる偉容 |
昭和初期から初登はん競争が始まった。無雪期の初登はんは第5尾根から行われ、京大の高橋健治らが1927年7月18日に登った。積雪期の初登はんは1934年12月27日、立大の浜野正男らが東北尾根から行った。最後まで残った積雪期中央稜が登られたのは戦後の1958年、奥山章、芳野満彦らによってだった。無雪期の第5尾根から31年かかった。バットレスとは建築用語で「控壁」「胸壁」の意味で、小島烏水が名付けた。
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| 下部岸壁 |
大樺沢を見下ろして登る |
▽北岳バットレス初登記録
| 東北尾根 |
1927年 7月19日 |
京大の酒戸弥二郎ら3人 |
| 1934年12月27日 |
立教大の浜野正男、榎本忠亮 |
| 第1尾根 |
1936年 9月 8日 |
東京商科大学の小谷部全助、森川真三郎 |
| 1937年 1月 2日 |
同 上 |
| 第2尾根 |
1942年 7月29日 |
登歩渓流会の松涛明 |
| 1957年1月4、5日 |
独標登高会の池田寛一、石田亘、高橋利佑 |
| 第3尾根 |
1935年 6月23日 |
東京商科大の小谷部全助ら3人 |
| 1935年12月13日 |
同 上 |
| 中央稜 |
1942年 7月30日 |
登歩渓流会の松涛明 |
| 1958年 |
奥山章、芳野満彦 |
| 第4尾根 |
1934年10月31日 |
立教大の湯浅巌、榎本忠亮 |
| 1937年 1月 5日 |
東京商科大の小谷部全助、森川真三郎 |
| 第5尾根 |
1927年 7月18日 |
京大の高橋健治ら4人 |
| 1935年12月11日 |
東京商科大の小谷部全助ら |
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| 山梨関係では昭和34年8月5日、中央稜右の無名ルンゼを鶴城山岳会の君島久登が初めて登った |
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| 第4尾根 |
第4尾根マッチ箱のコルへの下降 |
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