鳳凰・観音岳

鳳凰・観音岳
 鳳凰山の中央のピーク。標高2841メートル。東面に春、雪型の「農牛」が現れる。ハイマツに積もった雪が周囲より先に解け、黒い姿をしている。甲斐国志には「白い農牛」の記述があり、正誤の説があったが、1978(昭和53)年の秋、同じ場所に新雪による白い農牛が現われ、記述は正しいことが分かった。韮崎市穂坂町にある鳥の子池と農牛の伝説が残っている。山頂は露岩帯で野呂川を隔てての北岳、さらに甲斐駒ケ岳、八ケ岳、奥秩父、富士山と360度の展望が楽しめる。山梨県韮崎市、南アルプス市、北杜市武川町。鳳凰山として1997(平成9)年、山梨百名山に選定。

■山頂織りなす「白砂青松」

 「白砂青松」の形容は、海岸線だけのものではない。3000メートル級の稜線にも当てはまる。風化した花こう岩の白い砂と、ハイマツやダケカンバの緑が織りなす美しさは、山梨ではこの山域をおいてない。タカネビランジ、ホウオウシャジンといった花こう岩地帯ならではの高山植物の花々も加わり、心を洗う景観が広がる。=【写真】観音岳

 もう1つ、心を打つ風景がある。南側の夜叉神峠から主稜をたどり、ある瞬間に突然、地蔵仏と対面した時だ。大空にすっくと立つ高さ26メートルの大岩塔。自然の偉大さに驚き、神々しささえ感じさせる。小武川の谷を隔てた千頭星山の稜線から垣間見る地蔵仏は、この山域の奥ノ院そのものだ。

 北から地蔵仏のある地蔵ケ岳2764メートル、雪形の「農牛」が現れる観音岳2841メートル、双耳峰の薬師岳2780メートルと並ぶ。地蔵仏の存在感があるために、この峰の位置付けが絡んで明治時代から山名論争が行われてきた。今も決着したとは言い難い。

 論点は3つ。(1)地蔵仏ピークを鳳凰山とし、別に地蔵、観音、薬師があるとする鳳凰一山説(2)地蔵仏ピークが地蔵ケ岳で、南の2つのピークを鳳凰山とする鳳凰二山説(3)地蔵、観音、薬師を総称する鳳凰三山説―だ。

 陸地測量部が最高峰の2840メートル(当時)に二等三角点を設置したのは1902(明治35)年。ここを観音岳とした。しかし測量した山本米三郎自身、公式記録「点の記」に次のように書いている。「清哲村役場で調べた結果だが、薬師岳と呼ぶ者もいて、いずれが本当だろうか。入戸野では中ノ岳、農牛ノ岳と呼ぶ」

 今西錦司は、こうした陸地測量部の混乱がそのまま受け継がれ、鳳凰三山説が定着していったと主張した。近年、新たな文献や絵図の発見などで一山説が優位になっている。しかし三山説があまりにも定着してしまった。山梨百名山を選んだ選定委員会は、なじみのある鳳凰三山の呼称に準拠しつつも、「鳳凰山」を大切にした。

 「ほうおう」の呼び方は、奈良田に下ってきた孝謙天皇にちなみ「法王」「法皇」が語源とする説があるが、これは伝説。地蔵仏をくちばし、山稜を羽を広げた鳥に見立てたことや、仏教上の考えから「おおとり」「鳳凰」になったとする説が有力だ。

 山ろくの韮崎に住み、長年この山名論争にかかわってきた白鳳会顧問の山寺仁太郎さんは「さまよえる鳳凰山」(『五車』)という論文を書いている。「鳳凰山はさまよっているなと思う。山名がさまよい歩く山。これこそ鳳凰山という名山が名山たるゆえんであろう」 〈「山梨百名山」 山梨日日新聞社刊〉

 ※観音岳の標高は、国土地理院の測量方法の変更に伴い、2014年4月1月から変更。
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